シャネル ヴィンテージの見分け方
シャネル ヴィンテージとは、いま店頭では買えなくなった時期のシャネルのこと。中古の市場でとくに探されているのは、カール・ラガーフェルドが引き受けた1983年から、2000年代の終わりまでの服です。
この記事では、その時期のシャネルがどう変わってきたのかを、年代の順に追います。組紐の縁取りを外した80年代、装飾がいちばん濃かった90年代の前半、そして有名な金ボタンが小さなジッパーに替わった1997年の秋冬。作風の変わり目が分かると、手元の一着がいつのものか、見当が付けられるようになります。
たんすにしまったままの一着をお持ちの方はもちろん、いま売られているシャネル ヴィンテージがどの時期のものなのか知りたい方にも向けて書いています。
シャネル ヴィンテージとは?
どこからがヴィンテージか
服の世界では、おおむね20年以上前のものをヴィンテージと呼びます。ただしシャネルの場合、年数で区切るより「カール・ラガーフェルドが手がけていた時期のもの」という言い方で探されることのほうが多くなっています。
彼がシャネルを引き受けたのは1983年です。亡くなる2019年まで、36年間ずっと続けました。いま市場に厚く残っているのは、このうち80年代から2000年代までの服です。
ひとりが36年続けたので、期で切れない
ほかのブランドなら、デザイナーが替わるたびに「◯◯期」という呼び名が付きます。グッチのトム・フォード期、エルメスのマルジェラ期がそうです。短い在任期間が、そのまま作風のまとまりになっているからです。
シャネルには、その区切りがありません。36年をひとりで通したので、「期」で切ろうとすると全部が一つになってしまいます。
では何で見るのか。作風の変わり目です。36年のあいだに、シャネルの服は何度もはっきりと姿を変えています。その節目を知っておくと、一着を前にしたときの手がかりになります。
36年を、6つの区切りで見る。この記事はこの順に進みます。華やかな時期と控えめな時期が交互に来ること、そして1997年の秋冬に大きな段差があることが、全体の形です。
〜2002年春夏
〜2009年
1983年、弟子たちが作った2つのコレクション
就任前のコレクションは、別の人が作っていた
ややこしいところから始まります。1983年春夏として売られているシャネルは、ラガーフェルドの作ではありません。
このコレクションが発表されたのは1982年の10月で、服を作ったのは元アシスタントの若手2人でした。ひとりは、のちに自分の名前のブランドで知られることになるエルヴェ・レジェです。ラガーフェルドが正式に関わり始めたのは、その翌年1月のオートクチュールからでした。
当時の新聞は、このコレクションをこう伝えています。チェーンとパールがこれほど巨大だったことはない。金のチェーンが首だけでなく、腰にも手首にも何連も。静かで控えめだった服が、かなり傲慢なスタイルに変わった——。
つまり「派手なシャネル」は、ラガーフェルドが来る前から始まっていました。彼はそれを引き継ぎ、いったん静めることから仕事を始めます。
本人の最初のコレクションは、1983年10月
ラガーフェルド自身が手がけた最初の既製服は、1983年10月に発表されました。評判は良く、「シャネルが既製服を作り始めて以来、最高の出来」と書かれています。
このとき本人はランウェイに出ていません。客席の6列目に座って見ていたところへ、拍手が向けられたと伝えられています。
1983年のシャネルには、二人分の仕事が混ざっています。春夏は弟子たち、秋冬からが本人。同じ「1983年」でも、中身が違うということです。
組紐を外し、パンツを足した3年
縁取りを変えた
シャネルのジャケットといえば、襟や前立てに細い組紐の縁取りが入っているものを思い浮かべる方が多いはずです。何十年も続いた、いちばん分かりやすい印でした。
ラガーフェルドは、まずこれを外します。代わりに置いたのが、夜はスパンコール、昼は毛足の長いウールのフリンジ。さらに翌年には、縁取りそのものをやめて、対照的な色の帯で輪郭を出すやり方に変えました。例えば、グレーのスーツに紺色の帯を回す。色の差だけで、形が見えるようになります。
パンツをシャネルに入れた
もう一つ大きかったのが、パンツです。それまでのシャネルは、スカートの服でした。彼はスーツをスカートと同じくらいパンツと組み合わせ、当時の批評はこれを「シャネルの正典にパンツを加えた」と書いています。
同じ時期に、面白い一着が出ています。ドレスにスパンコールで刺繍された、チェーン付きのバッグ。実際にはただのポケットで、バッグに見せかけた刺繍です。シャネルの記号を、絵にして服へ載せてしまう。この遊び方は、のちの時期にも繰り返し出てきます。
1984年、男性がシャネルのジャケットで歩いた
1984年10月のショーには、男性モデルが出ています。典型的なシャネルのジャケットを着て歩き、怒った女性モデルが追いかけて脱がせ、自分で着てしまう——という寸劇でした。
このころのシャネルは紳士服を作っていません。それでも「男性がシャネルを着る」という光景は、この時点ですでにランウェイに出ていたことになります。男性モデルが本格的に起用されるのは、そこから20年後の2004年秋冬からです。
ロゴのTシャツと、街に出た偽物
ランウェイに出たTシャツ
1986年10月のショーは、ブランド名を入れたTシャツにブルージーンズという格好のモデルから始まりました。新聞売りの少女に扮して歩いています。イヤリングやベルトの飾りにも、香水の番号が入っていました。
当時、これは冗談だと受け取られました。高級な仕立て服のメゾンが、Tシャツを出したからです。
半年後、街に偽物が出た
ところが冗談は広がります。半年後には香水の名前が入ったTシャツがブティックに並び、仕立てのよいスーツの下にも、スウェットパンツの上にも着られるようになりました。
同じころ、許可を取っていないロゴ入りの野球帽が、街の露天で売られ始めます。新聞はこれを「シャネルのロゴは、有名な偽物の仲間入りをした」と書きました。
ロゴが記号として独り歩きし始めたのが、この1986年から87年にかけてです。のちにシャネルがロゴを隠す方向へ振れるのは、この過剰さへの反動だったとも読めます。
エーデルワイスに替わった2年
「多すぎる」と書かれた1987年
Tシャツと偽物が広まった直後、批評の調子が変わります。1987年の春に発表されたコレクションについて、当時の新聞は「シャネルのルックを派手にすることには成功したが、行き過ぎたかもしれない」と書きました。続けて、こうも書いています。「問題はアイデアが無いことではなく、多すぎること」。
その半年後も同じでした。若さを狙いすぎた結果、「このまま若返らせると、幼児向けになってしまう」とまで言われています。パステルのチェック、短いスカート、ハイソックス、大きな髪のリボン。若づくりが、一度行き着くところまで行きました。
1988年秋冬、椿を外した季節
そこでラガーフェルドは、正反対のことをします。
1988年3月に発表されたコレクションは、「創業者の没後、最高のコレクション」「大人の女性のための、大人の服」と迎えられました。批評はわざわざ「仕掛けは一切なし」と付け加えています。ふくらはぎ丈のスカート、ゆったりしたパンツ、細くしなやかな輪郭。
そしてこの季節、シャネルの印である白い椿が、エーデルワイスとスミレに置き換わりました。ベルベットにエーデルワイスを刺繍した一着が、この回を代表する品として残っています。就任から5年目のことでした。
1989年春夏、1930年代へ
翌年の春夏は、さらに静かになります。主題は1930年代——若い頃の創業者が過ごした海辺の保養地の空気でした。批評はこれを「静かで簡素な贅沢。それがシャネルの本当の精神だ」と書いています。
言い換えが徹底していました。つま先の色が違うパンプスは、平らな紐靴とサンダルに。組紐の縁取りは、白いウールに平たい黒の帯を回すやり方に。パールは、カメオに。いつもの記号を一つずつ外し、別のもので置き直した季節です。
それでも、この静けさは長く続きませんでした。同じ年の秋冬には「スカートが消えた」と言われるほど丈が短くなり、翌年にはジャケットが金の組紐とパールの縁取りで飾られます。
華やかさと控えめさのあいだを行き来する動きは、1988年に一度起きています。あとで出てくる1997年の変化も、同じ振り子のもう一往復です。この往復が何度も起きるという点が、見分け方の章で効いてきます。
名前で呼ばれる4つの意匠
シャネルには、名前で呼ばれる意匠がいくつもあります。いずれも創業者の時代からあったもので、ラガーフェルドの発明ではありません。彼の仕事は、それを毎年つくり直して、その年の服に載せ続けたことでした。
ツイードのジャケット
いちばんよく知られた型です。シャネル ヴィンテージを探す人の多くが、まずこれを探します。ただし、40年のあいだ一度も途切れずに作られているので、ツイードのジャケットであること自体は年代の手がかりになりません。丈、肩の形、縁取りの有無、裏地の柄——変わるのはそちらです。
金ボタン
ボタンは、シャネルでは主役の一つです。1985年、シャネルはデリュというボタンの工房を買収しました。シャネルが手に入れた最初の工房で、以後ボタンは自分のところで作るものになります。
ボタンの表情は季節ごとに違います。金色に光るものが続く時期もあれば、くすんだ真鍮やつや消しの金属に替わる時期もあります。1998年の秋冬がまさにそれで、当時の批評は「叫ぶような金のプレートの代わりに、くすんだ真鍮」と書きました。
チェーンベルトとキルティングのバッグ
金のチェーンを腰に巻く着け方は、80年代のシャネルの象徴でした。キルティングのバッグも同じで、1983年の時点ですでに「書類かばんほどの大きさ」にまで大きくなっています。
1996年ごろには、金属のメッシュのベルトが「シャネル風」という一般名詞になるほど流行しました。他社が真似したベルトが百貨店に並ぶところまで行っています。
カメリア
白い椿の花、カメリアもシャネルの印です。ブローチとして胸に留めるほか、刺繍やプリントの柄としても繰り返し使われてきました。革で作った花から銀のチェーンを垂らした年もあります。
ただし、椿でない年があります。前の章に書いた1988年秋冬のエーデルワイスとスミレがそれです。お手元の品に椿以外の花が入っていたら、それだけで年代がかなり絞れます。
装飾がいちばん濃かった数年
1990年10月のコレクションには、「ロック・ポップ・シャネル」という名前が付いていました。
黒いボディスーツとレギンスから始まり、ネオンのように明るいジャケット、首にも腰にもどっさり付けたビーズ、段になったフリルの浮かぶスカート。ピンク、藤色、ターコイズ、黄。足首まで紐が這い上がる靴。水着の上に透けるスカートを重ねた一着も出ています。
批評はこれを「古いメゾンを、色の爆発と山のような小物で揺らした」と好意的に書きました。この濃さが、そのまま90年代の半ばまで続きます。
商売としても、この時期が頂点でした。1994年には既製服部門がフランスでもっとも利益を上げるメゾンになっています。1995年春夏の広告は、公式の年表が「大成功で、強い印象を残した」と書き残している回です。
色がいちばん強かった1995年
1995年の春夏は、公式の年表が名指しで挙げている回です。広告に当時のスーパーモデルを起用し、「大成功で、強い印象を残した」と書かれています。丈を短く詰めたクロップド丈のジャケットが、この季節を代表する型になりました。
同じ年の秋冬は、会場もランウェイも色で埋まります。紫、マゼンタ、フクシア。ツイードのスカートスーツに、同じ系統の色のタイツを合わせる。羽根や花を載せた帽子。金ボタンを二列に並べたジャケット。「シャネルらしい色」と聞いて紺やベージュを思い浮かべる方には、意外に映るかもしれません。
翌1996年の春夏には、ロゴを柄として連続させたピンクのセットアップが出ています。ギンガム、チュール、デニムのジャケット。ロゴを服の柄そのものにする発想が、いちばん素直に出た回です。
1996年秋冬——ミリタリーと金のブロケード
同じ年の秋冬で、色が入れ替わります。茶、カーキ、オリーブ、そして金のラメ。軍服の形を借りたジャケットに太い金のベルトを回し、金のブロケード(紋織り)のスーツやスパンコールのドレスを出しました。大きなカーゴポケットのパンツもこの回です。
当時の評は、この回をとくに高く買っています。「メゾンが名前を蘇らせる人を探すとき、その理想形がラガーフェルドだ」とまで書かれました。
面白いのは、これだけ強い回でありながらロゴはほとんど見えないことです。このときの評も「服のロゴはほとんど見えず、小さなボタンだけ」と書いています。色と素材と形で押し切った回だということです。
1997年春夏——動く歩道と、大きな花の柄
装飾の時期の最後にあたるのが、1997年の春夏です。会場には空港にあるような動く歩道が敷かれ、モデルが運ばれてきました。
服のほうは、ポピーやバラを大きく描いた柄のドレスとパンツ、乗馬服のような細い上着に短いパンツ、白いシャツにネクタイを合わせたタキシード。柄と組み合わせの密度が、この回でいったん頂点に達します。
当時の評は手放しではありませんでした。「良いものがたくさん、キッチュなものも少し」と書いたうえで、最後をこう締めています。「成功だが、計算ずくの成功」。次の季節に起きることを考えると、この一文は後から効いてきます。
シャネル ヴィンテージを探している人が実際に見ているのは、おおむねこの数年の服です。ロゴ、金ボタン、チェーン、鮮やかな色、大きなシルエット。一目でシャネルと分かる要素が、いちばん濃く出ていた時期にあたります。
1997年秋冬、金ボタンがジッパーに替わった
右腕が2人いた季節
1997年の3月に発表されたコレクションで、流れが変わります。
このときアトリエには、右腕と呼べる人が2人いました。14年連れ添ってきた古参と、他のメゾンから新しく迎えた人です。批評は、「新しい美意識への模索と、全盛期への執着との綱引きが、ランウェイのどの場面にも出ていた」と書いています。
シャネルの記号を、自分で外した
何が変わったのか。具体的には、こうです。
- 金ボタンが、小さなジッパーになった細身のスーツを、有名な金ボタンではなく、小さなジッパーで留めるようになりました。
- ツイードのジャケットが、やわらかいスーツになった肩を張ったジャケットの代わりに、紳士服の仕立てを借りた、ゆるいスーツが中心になります。
- ロゴの代わりに、小さな刺繍が散った抽象画のような小さな刺繍が服全体に散らされ、ブランドを示す記号が表から減りました。
一目でシャネルと分かる要素を、ブランド自身が外していった季節です。ここから数年、その方向が続きます。
この前後で、中古市場での探されかたははっきり違います。1997年の春夏までとそれ以降とでは、同じシャネルでも別のものとして扱われているのが実情です。
控えめだった5年と、2002年の揺り戻し
批評は、ほめ続けた
誤解されやすいところなので先に書いておきます。この控えめな時期、当時の評価は高いものでした。
1998年の春夏は「一貫して強い」、同じ年の秋冬は「息をのむ、優雅な無頓着さ」。2000年の秋冬にいたっては「見事なシャネルが、この季節を総括した」とまで書かれています。派手さが減ったことを、批評は洗練と受け取りました。
ロゴは、タイツだけ
その2000年秋冬で唯一の目立つロゴは、ダブルCが編み込まれたタイツでした。服のほうにはほとんど出ていません。
面白いのは、同じころ業界全体は逆を向いていたことです。1999年の秋には「ロゴが高級服に戻ってきた」と報じられ、各ブランドが大きなロゴを競って出していました。その年にシャネルだけが、ロゴを柄のなかに隠していたのです。
控えめでも、遊びはあった
派手さが減ったといっても、この5年が地味だったわけではありません。遊びの置き場所が、服から小物へ移っただけです。
- 2000年春夏——パイソンのジャケット体に沿った蛇革の上着と、前に3本のジッパーが並ぶ腰穿きのジーンズ。ロゴはプリントのなかに隠されていました。
- 2001年春夏——光るサンダル透明なプラスチックの底が、一歩ごとにネオンで光る厚底のサンダル。コルク栓の形をしたヒールには文字が刻まれ、ベールには創業者の愛称が入りました。
- 2002年春夏——拳のパール指に嵌めるパールを、拳に並ぶ装身具のように仕立てた回です。涙の形をしたパール3粒で前を留めるベストも出ています。
この時期の品は、ぱっと見でシャネルと分かりにくいぶん、小物や留め具に特徴が残っています。ボタン、ジッパーの引き手、ベルトの金具。見る場所はそちらです。
2002年秋冬、ランウェイでバンドが演奏した
終わりははっきりしています。2002年の秋冬、ランウェイの上にバンドの演奏台が組まれ、ベルギーのバンドが生演奏をしました。
当時の批評の一文が、この5年をそのまま要約しています。「数季にわたって高校の校舎で控えめなショーを続けたあと、ラガーフェルドはロックさせた」。
この回に出てきたのが、革のカメリアから垂れる銀のチェーン、キルティングのベルト、そして創業者の顔を線画で刷ったバッグでした。記号が、堂々と表に戻ってきます。2003年以降のシャネルは、この延長線上にあります。
デザイナーが替わらなくても、服は変わります。36年のあいだに、シャネルは派手さと控えめさのあいだを何度も行き来しました。1988年にも一度、同じ振れ方をしています。
在任期間が短く、その名前で時期が区切られたブランドの話は、それぞれこちらに書いています。トム・フォード期のグッチ、マルジェラ期のエルメス、ガリアーノ期のディオール。
2000年代——季節ごとに舞台が変わる
2000年代に入ると、シャネルは会場そのものを作り込むようになります。2005年の秋に見せた翌年春夏のコレクションから、パリのグラン・パレが定番の舞台になりました。
この時期の特徴は、季節ごとに主題がはっきり違うことです。服の柄や色も、その主題に沿っています。
- 2004年秋冬——道路床が、車線の引かれたアスファルトでした。チェックのツイード、ニュースボーイキャップ、パステルのニットスーツ。
- 2005年春夏——赤いカーペット生成りのツイードのスーツ、タキシード、白いクロシェ編みやレースの長いドレス。
- 2007年秋冬——雪会場に雪を積もらせました。大きな柄のチェックのコート、ニット帽とマフラー、ペンギンの柄のニット。
- 2008年春夏——アメリカ星を散らした青い床。デニム一式、星条旗の柄、水玉、サロペット。
- 2008年秋冬——メリーゴーラウンド巨大なパールとバッグとカメリアを飾った回転木馬。網やレースの柄入りのタイツ。
- 2009年春夏——カンボン通り31番地創業の店の建物を会場に再現しました。黒と白のツイード、紙のように白い服。
柄が変わっているほど、年代は絞りやすくなります。星条旗もペンギンも、シャネルでは一度きりです。ご自宅の品に見慣れない柄が入っているなら、それ自体が手がかりだとお考えください。
男性が着るシャネル
シャネル オムという名前の品がある
シャネルには、男性向けに作られた品があります。タグに「CHANEL HOMME」と入ったもので、2000年代の半ば以降に見られます。ジャケット、コート、ニットが中心です。
ランウェイに男性モデルが本格的に出たのは、2004年の秋冬からでした。この回について、当時の評は「男性が縁取りの付いたカーディガンジャケットを着た。これは初めてのことだ」と書いています。前に触れた1984年の寸劇から、20年が経っていました。
スポーツの素材が入ってきたのは1999年から
その前に、別の入口ができています。1998年の秋、シャネルは「ベージュ」という名前のラインを翌年から始めると発表しました。スポーツウェアの素材で作る、このメゾンとしては初めての低価格帯です。
名前の由来は、創業者が1920年代に「ベージュの女王」と呼ばれていたことでした。ラガーフェルド本人は当時、こう語っています。「セカンドラインとは言いたくない。二番目というものが全部嫌いだ。これはスポーツラインだ」。
ナイロン、中綿、ダウンといった素材がシャネルに入ってきたのは、この流れからです。
男性が探しているのは、オムだけではない
ここは実務の話です。当店が市場で見ているかぎり、男性が熱心に探しているのは「オム」と書かれた品だけではありません。
同じくらい多いのが、女性向けに作られた80年代から90年代の、大きめの一着です。オーバーサイズのツイードジャケット、革のブルゾン、中綿やダウンの入った外套、大きなロゴの入った厚手のニット。もともとゆったり作られていた時期のものが、そのまま男性に着られています。
「女性物だから」とご自身で決めてしまう必要はありません。ご自宅にあるのがどちらであっても、一度お見せいただければと思います。
シャネル ヴィンテージの見分け方
同じ意匠が、40年ずっと使われている
ここまで意匠の名前をいくつも挙げてきましたが、注意していただきたいことがあります。
ツイードのジャケットも、金ボタンも、チェーンも、カメリアも、シャネルは40年以上にわたって作り続けています。いまのシャネルにも全部あります。「この意匠が付いているから何年のもの」とは言えません。
作風は、何度も往復する
組紐の縁取りを例にすると、動き方が分かりやすくなります。1984年に外され、1986年にいったん戻り、1988年にまた消え、1990年には金の組紐として装飾のほうへ戻ってきました。直線的に進んでいません。
派手さと控えめさの振り子も同じです。1988年に一度静まり、また華やかになり、1997年からもう一度静まり、2002年に戻る。写真1枚、あるいは特徴を1つ見ただけでは、年代を決められないということです。
当店が一着を前にして見ているのは、縁取りの処理、ボタンの表情、丈と肩のバランス、裏地の様子といった要素の組み合わせです。それが合ったときに、初めて時期を絞ります。
持ち主の記憶が、いちばん当てになる
意外に聞こえるかもしれませんが、年代を詰めるときにもっとも役に立つのは、持ち主の覚えていることです。
といっても、何年に買ったかを言い当てる必要はありません。「母が定年になる前に買ったらしい」「旅行先の店で見つけた」——手に入れたときの場面のほうが、西暦よりずっと確かに残っています。
日本でシャネルがよく買われた時期は、はっきりしています。買った本人でなくても構いません。場面がひとつ思い出せれば、あとはこちらで年代まで詰めます。
中古市場での評価と、査定額が分かれる理由
年代の記載がないまま取引されている
当店は、シャネルが実際にいくらで取引されているかを日々まとめて追っています。そのなかで年代まで書き込まれている出品は、けっして多くありません。大半は「シャネルのジャケット」「シャネルのワンピース」という一行のまま売られていきます。
理由は単純で、出す側にも分かっていないからです。シャネルは意匠が変わらないぶん、年代を言い当てるのに手間がかかります。
一目でシャネルと分かる品ほど、どこでも値が付く
ツイード、金ボタン、チェーン、はっきりしたロゴ。これらがそろった一着なら、どの店に出しても値が付きます。写真を見ただけでシャネルだと伝わるからです。
判断が分かれるのは、その逆にあたる品です。無地に近いジャケット、飾りの少ないニット、目立つところのないコート。前の章に書いたとおり、シャネルには記号をあえて外していた時期があります。その頃の服は、写真1枚では「ただのジャケット」に見えます。
ブランドと品目と状態だけを埋めていく査定では、こうした一着は一行で片づきます。何年のものかを書き込む場所が、はじめから用意されていないからです。
ところが最後に買う人のなかには、年代を見て選んでいる層が確実にいます。当店は自分の売り場でその反応を見ているので、査定額はそこから逆算して決めています。
売る前に、よくこう聞かれます
ご相談の電話やメールで、決まって出てくる質問があります。ここでまとめてお答えします。
- 本物かどうか自信がありませんシャネルは模倣品の多いブランドです。真贋の確認はこちらで行いますので、ご自身で見極めていただく必要はありません。結果はそのままお伝えします。
- ボタンが1つ欠けています金ボタンは外れやすく、欠けのある品は珍しくありません。ボタンが足りないというだけで、お見送りすることはありません。むしろ残っているボタンが当時のものであれば、それ自体が年代の手がかりになります。
- 古すぎて値が付かないのでは30年前、40年前のものでも構いません。当店が扱っているのは、むしろその年代です。保管の跡や小さな傷みは、この年代のものであれば当然あるものとして見ています。
- 1点しかないのですがジャケット1枚、スカーフ1枚でも承ります。よそで値が付かなかったという一着こそ、一度お持ちください。
- 値段を見てから決めたいそうしてください。先に金額をお出ししますので、それから売る売らないをお決めいただけます。宅配買取の場合、返送料も当店が負担します(お品物の状態が事前にお伺いした内容と著しく異なる場合を除きます。詳しくはよくあるご質問をご覧ください)。
買取の方法とご相談の流れ
福知山市・綾部市・舞鶴市・宮津市・与謝野町・丹波市(兵庫)へお伺いしています。日程は事前にご相談のうえ調整いたします。
お品物を運び出す必要がありません。衣類・バッグ・小物・美術品などが対象です(家具・家電は承っておりません)。
遠方の方は宅配買取をご利用ください。送料は当店が負担します。梱包材はお手数ですがお客様のほうでご用意をお願いしています。
いずれの場合も、まずはお写真をお送りいただければ、おおよその金額をお伝えできます。
たんすの奥で眠っている一着が、作られた年ごと迎えられますように。